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パチンコ屋であった美味しい話

今日は久しぶりに歴史カテゴリの記事をひとつ。

最近は月1ペースになっちゃってる気がする。
ほんとはもう少し書いていきたいんだけどなぁ。

う~ん、まあ仕方ない。のんびりいこう。



さて、今回は何を書こうか悩んだ結果、パチンコ屋であった美味しい話を書こうと思う。


近日中に、リクエスト頂いたパチスロで勝つ方法を日記のほうで書きたいんだけど、
その前にまずはこの記事を書いておきたい。


今回は初の試みで、短編集的な感じにしてみる。
ネタは腐るほどあるから、印象に残っている出来事を順番にサクサク書いていくスタイルで。


・確定台編
・残り物編
・譲り物編
・売り物編
・超お宝編
・番外編



今パッと思いついて書いてみただけなんだけど、一応この順番でいってみようかな。
では早速書いていこう。




確定台編

・閉店間際のホールにて吉宗の復活演出から・・・!?

パチンコ屋であった美味しい話、と考えたときに真っ先に思い出すことがある。
かれこれ10年程前のことになるだろうか。4号機吉宗の全盛時代。

当時パチスロの収入だけで暮らしていた僕だったが、閉店チェックなどという面倒なことはしていなかった。
だが、その日はたまたまタイミングが合った為、閉店5分前のパチンコ屋をフラっと覗いてみることにした。

すると、各台の最終ゲーム数をチェックしていた僕の目の前で、
サラリーマン風の男が、打っていた吉宗をちょうどやめていく、といった場面に出くわした。
高確率から発展した酒飲み演出が失敗したところで、残っていたクレジットを落として箱に入れていた。

何気なく液晶を見てみると、演出失敗の画面のままだった。

僕は知っていた。
普通はクレジットを落とすとデモ画面に戻るのだが、
復活演出が発生する場合に限り、クレジットを落としても演出失敗の画面のままだということを。

だが、復活演出が発生するからといって、ボーナス確定ではない。
当たる可能性もそこそこあるが、外れることも多い。
教えてあげようかとも思ったが、外れてしまっては気まずい。

僕はサラリーマン風の男が台を離れた後にそっと台をキープした。
そして、わざわざ千円札を入れて確認するのも面倒だなと思い、他のシマに落ちていたメダルを3枚拾ってきた。
(良い子は真似しないように!)

閉店まで残り時間がなかった為、急いでメダルを投入。
案の定、閉店間際の少し静かなホールに「まだまだ!」の声が鳴り響く。
慎重に7図柄を狙った。

――僕は先程までこの台を打っていた男の苦い視線を背中に感じながら、
711枚のメダルを持ってそそくさとジェットカウンターに並んだ・・・。




・名前も知らない台でリーチ目発見・・・!?

これもかなり昔の話。確か4号機末期の時代。

いつも通り天井狙いで小銭を稼ぐべく、パチンコ屋に入り足早にパチスロコーナーへ向かった僕は、
いつもなら素通りしているAタイプコーナーのシマに置いてあった1台のスロットマシンに目が止まった。

一度も打ったことがなく名前すら知らないその台のリール上には、
「7・BAR・7」といったような出目が出現していた。

当時ノーマルタイプはほぼジャグラーシリーズしか打ったことがなく、知識など全くなかった僕だったが、
さすがにこの出目には猛烈な違和感を感じた。

例によって、3枚のメダルを拾って7図柄を狙ってみる。
あっさりとBIG BONUSを祝福するファンファーレが鳴り響いた。

以来、いつかは拾えるんじゃないかと思って注意深く見るようにしているのだが、
未だ、ジャグラーのボーナス確定台を拾いたいという僕のささやかな願いは叶っていない。




・ボーナスを捨てて帰ってしまった美女・・・!?

あんまり昔の話ばっかりでもアレだから、もう少し最近の話も。
ロデオからでたパチスロモンスターハンター(←古いw)の赤7確定台を拾った話。

ガラガラのパチスロ店で打てそうな台を探していたときのこと。

一通り台を見て回って打てそうな台もなかった為、移動しようかなと思ったときに、
ふとモンハンのシマで1人で打っていた女性の台に目が留まった。

さりげなく液晶を見てみるとボーナス確定の文字。
・・・おかしいなと思った。

さっき通りかかったときにチラっと見たときも同じ画面だった。
データランプのボーナス回数は増えていない。

少し遠くから様子を見てみるとすぐに納得した。
目押しが出来ず、延々とボーナス図柄を揃えられずにいるようだった。

その女性が、おそらくボーナスが確定してから2枚目であろう新たな千円札を財布から取り出したタイミングで
さすがに可哀想になり、押してあげようかなと思ったが、躊躇した。

きれいなお姉さんだったからだ。

そもそも内向的な性格の為、こういうときに押しましょうかって声を掛けるのは苦手。
僕が隣に座っていたなら自然だが、わざわざ近づいていって声を掛けるのもどうか。

これがおばさんならまだ声を掛けやすいが、
(おばさんの場合は大抵こっちが声掛ける前に押してってお願いしてくるけどw)
お姉さんに、下心があるんじゃないかと思われるのも嫌だった。

だが、ガラガラの店内に僕以外に助けてあげられる人間はいない。
どうしようかと思案していると、お姉様はおもむろに店員呼び出しボタンを押した。

嫌な予感がした。
時代の流れか、いつからか店員がボーナス図柄を揃えてくれるサービスは禁止となった。

しばらくしてやってきた店員にお姉様は目押しをお願いしているようだが、
店員は申し訳なさそうな表情をして頭を下げている。

「ここっきゃねー!」

満を持して僕はその2人の横を通り掛かる。
少し離れたところでVモンキーを決め、あたかも今気付きましたよというフリをしながら、
店員に、押そうか?とジェスチャーを送る。

店員はホッとした様子で、それをお姉さんに伝えたようだ。
恐らく、あちらのお客様にお願いしてはどうか、というようなことを言っているのだろう。

だが、美女の反応は意外なものだった。

顔を真っ赤にさせながら下皿に入っていた少量のメダルを箱に移し、勢いよく店員に突き出した。
どうやら怒っているようだった。恥ずかしさや情けないといった感情もその気持ちに拍車を掛けたのだろう。

メダルを流し、逃げるようにして店を出ていったお姉様の背中を見つめながら、
残された僕と店員は苦笑いをしていた。

ふと大事な事に気づいた僕は店員に確認する。

「この台、打ってもいいんですかね?」

30分後、狩猟ボーナスから突入させたARTを取り切ったところで、僕は複雑な思いで店を出た・・・。





はい、まだまだ確定台ネタもあるんだけど、このペースで書いていくと全然終わらなそうだから次いこう。





残り物編

・G-ZONE中の台を拾って・・・!?

あれは5号機でGOD(系譜)が初めて登場したばかりの頃。

5号機初期の頃に比べてホールのパチスロコーナーにもかなり活気が戻ってきていた。
特にGODのシマには連日多くのギャンブラー達が殺到し、店を盛り上げていた。

その日もGODのシマに空き台はなし。
台の上や後ろに、所狭しとメダルの箱が積まれていた。

当時、借金を抱えその借金をパチスロの天井狙いで返済していこうと決意していた僕は、
GODはしばらくは打てないだろうけど、少し稼働が落ち着いたら強力な味方になってくれそうだなと思いつつ、
シマの盛り上がりをよそに、他の打てる台を探していた。

だが、GODのシマを通りかかったときに、たまたま1台の空き台を見つけ違和感を感じた。

「あれ?さっきまでおばさんがメッチャ積んでたところだ。やめちゃったんだ。」

何回くらい当たり引いたんだろうと気になりデータランプを確認すると、光って点滅している。
画面を見るとG-ZONE中だった。

「ん?」

とりあえず店員を呼んで打っていいのか確認すると、問題ないとのこと。
データを確認すると7000枚くらい出ていることがわかる。

これでスルーしたらさっきのおばさん完全にエスパーだよな、と思いつつ打ってみると、
そんなことはなく、あっさりと奇数図柄が揃った。

4連くらいで終わったのだが、隣で大ハマリしていた若者の尋常じゃない殺気を感じ、
僕はさっさとメダルを交換し、その場を立ち去った・・・。




・隣に座っていたおじさんの謎・・・!?

大都のパイレーツワールドという台があった。ストックタイプのART機。
世間の評価は相当悪かったようだが、僕は嫌いじゃない。

当時、借金を返済し終え余裕な気持ちで打てる台を探していたときのこと。

1台の空き台の前で足が止まった。
台の右側のランプが光っていることに気づいたからだ。

メダルを拾って入れてみると、ART中だった。
店員に打っていいのか確認し、ありがたく頂くことにした。

前任者は5000枚程出してやめていったようだ。時間がなかったのだろうか。

どうせこういうのってすぐ終わるんだよなぁと思いつつ打っていると、これが全く終わらない。
自力でもそこそこいいヒキを見せたとはいえ、一体いくつストックが残っていたのか。

首を傾げながら打っていると、隣で打っていたおっちゃんが教えてくれた。

「それ、いっぱい7揃いしてたからまだまだストックあると思うよ。」

結局、閉店まで出っ放しで5000枚オーバー。
前任者と合わせて万枚を達成した。

思わぬ展開にホクホク顔の僕だったが、ひとつだけ疑問が残った。
なぜ隣のおっちゃんはこの台を打たなかったのか。

この謎が解明されることは一生ない。




・万枚達成で大満足・・・!?

今度こそ最近の話。

小さなパチンコ店でアナザーゴッドハーデスを打っていた若者がいた。
その若者はその日調子が良かったらしく、2000枚、3000枚と順調にメダルを増やしていった。

僕は近くで別の台を打っており、その様子をなんとなく眺めていた。
やがて自分の台を打ち終え、他に打てる台もなくなって店を移動。

しばらく別の店で打ってまた戻ってくると、まだ若者は打ち続けていた。
さりげなく画面を見てみると一撃で9500枚を超えている。

ATの残りゲーム数は150G程。
ストックがあるのかどうかわからないが、まあ普通に考えてありそうな気はする。
万枚達成はほぼ間違いないだろう。

僕は店を回って打てる台がないことを確認し、帰ろうかとも思ったのだが、
少しだけその若者の勝負の行方が気になり、万枚を見届けてから帰ることにした。

残り10G。9995枚。
あと1回黄色7を引けば万枚達成。

が、なかなか引けない。レバーを叩く若者の手に力が入っているのがわかった。
残り3G・・・2G・・・1G・・・。

ギリギリ届かず・・・、まあストックがあるだろうから大丈夫でしょ・・・、
と僕が思ったそのとき、後乗せで10G!

無事に若者は一撃万枚を達成。
記念の写メをパチリ。終了画面もしっかりパチリ。

良かった良かった。
なんだか僕も嬉しくなって、帰路につこうと思ったその瞬間、信じられないことが起こった。

若者が店員呼び出しボタンを押して下皿のメダルを箱に移し出し始めた。
やってきた店員に指でバツ印のサインを送る。

あっけに取られて数秒動けなかった僕だったが、速やかにその台をキープした。
ストックは3つ残っていて、1800枚出た。

その若者はよっぽど万枚達成のレシートが欲しかったんだろうか。
今度会ったら1000円入れてでも打てばよかったのにと教えてあげたい・・・。






・・・うーん、ちょっと長くなってきたな。

当初は全部5、6行くらいの短編にしてサクサクいこうと思ってたんだけど、やっぱ無理だ。


目も痛いし、残念だけど続きはまた今度。

・譲り物編
・売り物編
・超お宝編
・番外編

次回はこの中から適当に選んで書く予定です。






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世界同時株安(リーマンショック)が起きたときの日経平均の値動きの話

最近、麻雀、おっさんがブログを始めたくだらない理由、ブログで儲けた自慢、偉そうな解説、など、
読者の皆様があまり好まないであろう記事が続いてしまった。

このままではおっさんブログの過疎化がさらに加速していくという危機感を感じている。


そんなわけで、今日はお詫びというわけではないが、久しぶりにおっさんの歴史記事を書いていこう。
もちろん、みんな大好きおっさんの黒歴史だ。


コラ!そこ!
「よっ、待ってました!」 じゃないよ!!

人の不幸をなんだと思ってるんだよ。

まったく。




・・・はい。


では、つまらない前置きは置いておいて、早速書いていこう。

これは当時、株取引初心者だった若き日のおっさんが、数十年に一度と言われる大きな相場の波に
知らずの知らずのうちに飲み込まれて、大きな痛手を負った、という話だ。

株の話なので、わからない方には難しい話になってしまうかもしれないが、
なんとなく雰囲気だけでも味わって頂ければ幸いだ。


今回は歴史カテゴリでは珍しく画像やデータを用意しての記事になる。












――2008年10月6日 月曜日 午後15時。

僕は、自宅のパソコンの前で全身から冷や汗を垂れ流していた。


「嘘だろ・・・。」



事の発端は、前の週の金曜日に信用余力を存分に使って、思い切って株を仕込んだことだった。


株式取引を始めて1年近くが経っていたが、
ちょうど1か月程前に信用取引をできるようにしたばかりだった。


マイナスに転落した年間収支。重くのしかかる借金の利息。


そんな焦りや不安と、色々な悪いタイミングが重なったのだろう。


でもまさかあんな事になるとは。
あのときの僕は、想像すらしていなかった・・・。







――僕が株式投資の世界に足を踏み入れたのは2007年11月のことだった。

デビューに至った詳細な経緯はこの辺りの記事で書いているので、
もし良ければお暇なときにでも読んで頂きたい。


おっさんの歴史 PART③

おっさんの歴史 PART④




消費者金融のカードローンで用意した120万の元手でスタートし、デビュー戦こそほろ苦い結果に終わるも、
そのあと運に恵まれ、初月50万以上のプラスを叩き出す。


しかし、翌月にはきっちり相場の洗礼を受け、46万のマイナス。
ここから徐々に厳しい相場の世界で揉まれていくこととなる。


あまり思い出したくない記憶ではあるのだが、古いパソコンのデータから当時の記録を見つけ出したので、
参考までに月間収支を公開しておこう。



2007年
11月 +501,000
12月 -459,000
2008年
1月  ±0
2月  +95,000
3月  -60,000
4月 +132,000
5月  -87,000
6月  ±0
7月  +11,000
8月  -91,000


注:細かい数字は切り捨てている




今冷静にこの数字を振り返ってみると、

2007年11月1日の日経平均株価終値が16,870円、2008年8月31日の終値が13,072円と、
あまりいい地合とは言えない中、ど素人が買いオンリーでデイトレ、スイングで戦ったことを考えると、
まあそこまで悪くはない結果だったんじゃないかとは思う。


明らかに日経平均が右肩下がりの中、ど素人がよく健闘したよと、当時の自分を褒めてやりたい。



だが、あのときの僕は焦っていた。
取引記録だけを見ると一応ギリギリプラスではあるのだが、上のデータはあくまでも株の取引のみの数字。


僕の元手はサラ金で借りた利率18%の借金だ。
利息を払い続けている為、それを考慮すると実際にはマイナス収支だった。


経験した人間にしかわからないと思うのだが、この利息というものがもたらすプレッシャーは半端ない。
ただ何もせずに過ごしているだけで、お金がどんどん減っていくのである。


当時、まだ若かった僕は何度かそのプレッシャーに押し潰されそうになり、

度々、株の口座から全額出金して、消費者金融に全額返済、
しばらくして気持ちが落ち着くと、また消費者金融で借りて株の口座に入金など、余計な行動を繰り返した。


記憶が定かではないが、2008年1月と6月の収支がプラマイ0なのはその為だと思う。



初めのうちは楽しかった株取引も段々と苦痛になっていった。

絶対に勝たなければならない。負けたら待っているのは借金地獄。


なぜそこまでして株の世界で戦っていたのかと問われると、若干答えに窮するのだが、
一言で言うと、「自分の居場所を見つけたかった。」ただそれだけだったと思う。




・・・すまん。格好付けてみたかっただけだ。

が、本当だ。






当時の僕は、現物取引しかしていなかったが、この下げ相場で勝つ為には空売りという手段が
必要だということを理解した。

買っても買っても下がる一方。ならば売るしかない。

(ここら辺は株をやったことない方にはわからないかもしれませんが、株の世界では売りから入って
あとで買い戻すことで利益を得るという方法があります)


2008年9月、僕は信用口座の開設を決意したのだった。



いきなり取引できる金額が3倍になったことにより、僕のトレードにやや荒さが目立つようになった。

今までは余力が少なかった為、慎重に慎重に、ここぞというチャンスを待って取引していたのが、
なんとなくチャンスっぽいなと思うと、すぐに取引するようになってしまった。


しかも、リーマンブラザーズの破綻などもあり、日経平均が1ヶ月で2000円近く下げるような悪地合いの中、
相変わらず買いから入る取引ばかりで勝負していたのである。



今、過去に戻れるなら何でそんなバカげたことをしているんだと、
ボコボコにして地中に埋めてしまいたい衝動に駆られるのだが、

当時の僕には、男が勝負するときは黙って買いでしょ、というクソの役にも立たない考え方があった。



せっかく勝つ為の手段として空売りを解禁することを決意し、信用口座を開設したのに、
結果は、ほとんど空売りをせず、余力が増えてリスクが高まった上に、
トレードが下手になるという、最悪のものだった。

この月、僕はマイナス10万円という収支を計上する。





そして、迎えた運命の2008年10月。

相変わらず株価は下がり続けた。


これほどまでに急激に下がり続けたことは僕の(たった1年の)株式投資歴の中では初めてだった。
1年前には1万7千円以上だった日経平均株価が1万1千円を割り込んでいった。



日本中の投資家達がどこまで下がるんだ、とビクビクしている中、

さすがに1万円は割らないっしょ?こんなに下げたんだからあとは上がるだけじゃね?
根っからの捻くれ者のど素人がそう考えるのは当然のことであった。






ここからは少し数字を見て頂こう。2008年10月の日経平均株価の終値だ。



10月1日(水)  11,368.26

10月2日(木)  11,154.76 (-213.5

10月3日(金)  10,938.14 (-216.62


9月の勢いを継続し、さらに下げ幅を広げる日経平均株価を見て、
いい加減ここらが底だろう、万が一、これ以上下がったとしてもたかが知れている。

そう判断した僕は、初めての大勝負を決行した。


・2か月続けて大きなマイナスを出してしまった
・そのせいで1年近く株の取引をしてきて、初めて取引収支がマイナスに転落した
・最近信用取引ができるようになった
・とにかく早く大きく勝って利息のプレッシャーから解放されたかった
・なぜか自分が負けるわけがないという自信に溢れていた



他にも色々と理由はあるのだろうが、
以上のようなことから冷静に判断した上での勝負でなかったことは間違いない。


とりあえずいったれ!!といった勢いだけでの取引。


結果は皆様が予想する通りになったのだが、これが物凄いタイミングだった。


ちなみに、この10月3日に仕込んだのは、現物で日本通運の株を90万円分くらい。
その株を担保に、ミクシィやサイバーエージェントなど、当時勢いのあった新興株を170万円分以上。

何度も言うが、元手は借金である。


借金で株を買い、その借金で買った株を担保にして、信用取引を使って株を買った。


狂っているとしか思えないだろうが、これは実際に僕が経験したノンフィクションの出来事だ。



では、週末に借金で260万円以上の株を買って持ち越し、
週明け、地獄を見ることになった僕のノンフィクションを日経平均株価の動きで感じて頂こう。



10月6日(月)  10,473.09 (-465.05

10月7日(火)  10,155.9 (-317.19

10月8日(水)  9,203.32 (-952.58

10月9日(木)  9,157.49 (-45.83

10月10日(金)  8,276.43 (-881.06









・・・初心者の僕が放心状態に陥ったであろうことは想像に難くない。





ところで、この動きはまだ初動に過ぎないのだが、先に1枚の画像をお見せしたい。

冒頭で、ど素人が冷や汗を流しつつ、青い顔で眺めていたパソコン上には、この画面が表示されいた。



リーマン


見慣れない方にはわかりづらいかもしれないが、約32万6千円のマイナスとなっているのが
おわかり頂けるかと思う。

これは全て10月6日の終値の画像である。

つまり週末の3日に株を買い、週末を挟んでたった1日でこれだけの含み損を抱えた。




しつこいだろうが、もう一度言う。元手は借金だ。





翌日、信用余力がないせいで耐えられず、放心しながらも半分程度の株を売却し、マイナス25万を確定。

キャプチャする余裕がなかったのか、古いパソコンの中に画像は見当たらなかったが、
さらにそれと同程度の含み損を抱えていた。




その後の動きを見てもらおう。



10月14日(火) 9,447.57 (+1171.14)

10月15日(水) 9,547.47 (+99.9)

10月16日(木)  8,458.45 (-1089.02

10月17日(金) 8,693.82 (+235.37)




この週のはじめ辺り、日経が勢いよく反発したところで現実逃避から戻ってきて、
保有していた株の売り時を探り始める。




10月20日(月) 9,005.59 (+311.77)

10月21日(火) 9,306.25 (+300.66)

10月22日(水)  8,674.69 (-631.56

10月23日(木)  8,460.98 (-213.71

10月24日(金)  7,649.08 (-811.9




この週の火曜日に保有株を全て処理。一時期35万まであった含み損が、5万程度のマイナスで済んだ。


その後の動きがこれ。凄すぎて、最早わけがわからない。




10月27日(月)  7,162.90 (-486.18

10月28日(火) 7,621.92 (+459.02)

10月29日(水) 8,211.90 (+589.98)

10月30日(木) 9,029.76 (+817.86)

10月31日(金)  8,576.98 (-452.78



この週、場中に一瞬日経平均が7千円を割るなどしつつ、激動の10月の幕が閉じた・・・。





以上が、素人のアホが軽い気持ちで大勝負に挑んだら、とんでもない洗礼を受けることになったという、
世界同時株安(またの名をリーマンショック)という名の試練の簡単な記録である。



この10月をマイナス30万で乗り切り、11月に20万、12月に10万と取り返したものの、
翌年、残念ながら50万のマイナスを叩いたところで、僕の株式投資生活は終わりを告げた。




だが、この経験は僕の投資家としての器を一段階も二段階も大きくしてくれたのは間違いない。


ごく最近、ギリシャ問題などで日経の値が大きく動いたりしたが、
僕から言わせればあんなものはハナクソと同じである。

そんなように考えられるのは、このリーマンショックを経験したからに他ならない。



今はFXという世界に身を置いているが、この経験は必ずやFXの世界でも財産となるであろう。




これを読んでくれている皆様に改めて宣言したい。
僕は必ず成功する。



何度も何度も失敗を重ねてきたが、僕は絶対に諦めない。


若い頃の無鉄砲で恐いもの知らずだったときのような勢いは、もう持ち合わせていないかもしれない。
だが、今の僕には経験という武器、どんな相場でも冷静でいられるという武器がある。



近い将来、その武器を含めた全ての力を駆使して必ずや億万長者になってみせよう。










・・・あ、くれぐれもお前には無理だ、などといった誹謗中傷をしないように。
実はガラスのハートのおっさんは、そういった言葉に傷つきやすいのだ・・・(笑)









はい、今回は長々と株の話をしてみました。株をやったことない方にはちょっと難しい話になってしまったかも。
次回は、スロットかカジノかそこら辺のことを書いていく(と思う)ので許して下さい。

とりあえずこの話の教訓は、借金を抱えて株式投資をしてはならない、
ましてや、勝算のない大勝負など絶対にしてはならない、ということだ。

皆様も肝に銘じておいてほしい。



あ、そうそう、最後にこれを伝えておきたいんだけど、おっさんが株を始めるとリーマンショック、
FXを始めると東日本大震災からの円史上最高値。

なんか、持ってるとしか思えないんだよね。そろそろ何か起きるかも!?
投資家の皆さんはどうかお気をつけ下さい・・・(笑)







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高校生の頃に初めて馬券を買ったときの話

今年の宝塚記念はゴールドシップの大出遅れによって波乱の結果に。
ゴールドシップは定期的にこういうことしないと気が済まないのかな。

やはり何が起こるかわからないのが競馬。
だがそれこそが競馬の最大の魅力といってもいいのかもしれない。


さて、今日は久しぶりにおっさんの歴史をひも解いていきたい。

現在おっさんブログの読者に競馬ファンはほとんどいないんだけど、
ここらでそろそろ競馬の話を書かないとおっさんの気が済まない。


今日は初めて馬券を買ったときの話を少し。





――1999年7月。


僕は、友人の親が経営するコンビニの雑誌コーナーの一角で、夢中で競馬雑誌を読み漁っていた。
ここからすぐ近くにあるスーパーでのアルバイトの時間までもう少し余裕があった。


「あら、パート君、競馬なんて興味あるの?」


昼時を過ぎ、店内にお客さんがいなくなった頃合いを見計らっておばさんが声を掛けてきた。


「ああ、はい。昔おもしろい競馬のゲームがあって、それ以来競馬が好きになっちゃったんです。」


「あ、あの、馬を育ててレースで走らせるやつ?うちの息子と一緒によくやってたやつじゃない?」


「ああ、そうです、そうです。あれほんとおもしろかったんですよ。」



僕が競馬を好きになったのは、兄がダービースタリオン2という
スーパーファミコンのソフトを買ってきたことがきっかけだった。

牧場で競走馬を生産して、厩舎に入れて調教し、レースに出走させる。
競馬の仕組みや年間の流れなどは、このゲーム一本で大体理解できると思う。


僕はこのゲームに異常なほどハマり、以来、実際の競馬にも興味を持つようになった。




「今日はスポーツ新聞がよく売れるけど、明日なんか大きいレースでもあるの?」

「ああ、明日はG1の宝塚記念っていう上半期を締めくくるビッグレースがあるんですよ。」



ふいに、イタズラっぽい表情でおばさんが聞いてきた。


「パート君、馬券買ったことあるの?」


「え?あるわけないじゃないですか。僕、まだ高校生ですよ。」


「でも買いたいんでしょ?」


「そりゃそうですよ。早く買えるようになりたいです。」


「明日のレース、買ってあげようか?」


「・・・え?」



このときのおばさんの何気ない好意が、その後の僕の人生を大きく変えることになったことなど、
おばさんは知る由もない。


もちろん、遅かれ早かれ、将来僕が馬券を買うことになっていたのは間違いないのだが、
高校生という多感な時期に、競馬、いやギャンブルという魅惑の遊びの虜になってしまった
という事実の意味は、今自分の人生を振り返って考えるに、果てしなく大きかったと思われる。


はじめのうちは千円単位で遊んでいた競馬だったが、最終的には1レースに10万突っ込むこととなる。
高校生の頃、そんなバカな勝負をしていた人間が、大人になったらどうなるかということくらい、
誰にでも容易に想像できるであろう。




「うちの旦那がいつも大きいレースになると馬券買いに行くのよ。」

「きっと明日も買いに行くはずだから頼んであげる。」



自分がそこまで馬券にハマることになるとは思ってもいなかったこのときの僕は、
素直に喜んだ。


「え?いいんですか?メッチャ嬉しいです!!」




この年の宝塚記念はグラスワンダーとスペシャルウィークの完全な一騎打ちムード。
この2頭の馬連の配当が2倍ということからもそれがよくわかる。


僕の本命はグラスワンダーだった。

だが、相手がスペシャルウィークでは配当的におもしろくないからと、
7番人気ステイゴールドとの馬連を買うことにした。

おばさんに、よろしくお願いしますと千円札を一枚渡し、僕はドキドキしながらレース当日を迎えた。



このときのレースの映像は、何も見ずとも今でも頭の中で簡単に再生できる。

早めに抜け出した武豊のスペシャルウィークを、道中ピッタリとマークしていた的場のグラスワンダーが
悠々と差し切った。

ステイゴールドもよく追い込んできたが、離れた3着が精一杯というレースだった。




・・・ビギナーズラックは存在しなかった。


だが、初めて味わった、馬券を買ったレースを見守る時の高揚感。

アルバイトをして自分で稼いだお金をたった数分で失ったという悔しさ。

1着・3着という惜しい内容だった馬券。



幼い頃から勝負事が大好きで、人一倍負けず嫌いだった僕が、次こそは当てる!と意気込むことになるのは
必然だったのかもしれない。




その日以来、僕は大きいレースの度におばさんのいるコンビニに行き、
お金を託すようになった。

しかし、毎回そこそこの配当のある馬の単勝や馬連に1点勝負という馬券スタイルで臨んだ結果、
僕の馬券は一度も的中することはなかった・・・。




そして、迎えた暮れの大一番。
有馬記念。


1番人気は宝塚記念を制したグラスワンダー。
秋G1の3連覇が掛かるスペシャルウィークが僅差で2番人気。

さらにメジロブライト、ナリタトップロード、テイエムオペラオーと人気が続いた。


このときは、この年最後のG1だし、どうしても最後に馬券を当てて1年を締めくくりたくて、
1点買いのスタイルをやめることに。

そして金額も5,000円にアップ。高校1年生だった僕にはそこそこ大きい金額で、
おばさんも少し驚いていた。


馬券は、宝塚に引き続き本命にしたグラスワンダーの単勝2,000円、
あとは人気薄3頭へ1,000円づつ馬連流し。



緊張の中迎えたレース。
テレビの前で息を呑んで見つめたこのレースのことも、はっきりと覚えている。


道中、後方を進む的場のグラスワンダーを、そのさらに後ろ、最後方からマークする武豊のスペシャルウィーク。
展開はスローな流れからの瞬発力勝負。

最後の直線、先に抜け出したグラスワンダーを猛然と追い込むスペシャル。

最後、スペシャルがグラスを差し切ったか、と思ったところがゴールだった。


夏のグランプリに引き続き、またもこの2頭のワンツー。今度は鼻差決着であった。

ゴール板を通った後、地下馬道に引き上げてくる前に、
大観衆の前でスペシャルウィークの鞍上、武豊がガッツポーズ!



またも負けか・・・。



落胆してテレビをボーっと眺めていたが、
掲示板に点滅したのはなんと1着グラスワンダー。



・・・!!!



これが僕の人生初の馬券的中だった。


配当は単勝2.8倍。2,000円賭けていたから、払い戻しは5,600円。
馬連のほうは外れた為、600円の勝ちだった。


だが、金額などはどうでもよかった。

あの天才武豊が差し切ったと間違える程の僅差の決着だった大興奮のレースに僕も参加し、
そして勝利した。


大満足だった。


この勝利で、僕はさらに馬券にハマっていくことに・・・。











・・・続く・・・





・・・のか??(笑)






・・・はい、翌年、この有馬で3着に入ったテイエムオペラオーが主役になる時代には、
場外馬券売り場に自分で馬券を買いに行くようになっていた若き日のおっさん。

そしてさらに次の年にはジャングルポケットのJCで全財産の10万を賭けた勝負をするイカレたおっさん。

ここら辺の話については、疲れてきたので、また気が向いたら書いていこうと思います。





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パチスロ初代北斗の拳の設定6に10万突っ込んだ話

どなたか知りませんが、最近のクソみたいな内容の記事にも拍手ボタンを押して頂きありがとうございます。

正直、拍手ボタンってなんなのかよくわかってないんだけど、
おっさん!コメントはめんどくせーけど、記事見てやったからな!っていう合図ってことでOKだよね?

どうでもいい記事上げてねーでさっさと真面目に記事書けや!っていう無言のエールだと好意的に解釈して、
今日は目を労わりつつも、おっさんの歴史カテゴリの記事を書いていきたい。


皆さんお待ちかね?(・・・す、少なくとも1人は待ってくれているはず!)の、
パチスロ北斗の拳の話だ。前置きはそこそこに早速書いていく。







――2005年5月15日、朝8時30分。


僕は神奈川県大和市にあるパチスロ専門店「PRIUS」に並んでいた。


「遅いなぁ。」


今日は月に一度のプリウスデーというイベントの日。
イベント名に店の名前が入っていることからも分かる通り、この店の看板イベントである。




「それでは抽選を開始します!」


結局、待ち合わせをして一緒にパチスロを打つ予定だった先輩は現れなかった。
それどころかそれ以降、僕と同じ職場であるパチンコ店のバイト先にも姿を見せなくなった。


後日、別の先輩に話を聞いたところ、


「ん?ああ●●??そういや最近来ねーな。まあバックレでしょ。」

とのことだった。


僕がこういうことはよくあるんですか?と尋ねると、パチンコ屋のバイトでは日常茶飯事だという。


「大体が3日以内に無言で辞めていくからね。」

「あいつは3か月くらいは居ただろうし、けっこうもったほうじゃない?」


ちなみに、この先輩は中学を中退?し、15歳の頃からパチンコ屋で5年程働いているという。

このとき初めて知ったが、年上だと思っていたこの先輩は、僕よりもふたつ年下だった。
バックレた先輩は僕よりひとつ年上である。

・・・パチンコ屋でアルバイトをしている人間は色々とおかしいことが多い。



話を戻そう。


本当は先輩とのノリ打ちの予定だったのだが、仕方なく僕は、今日はひとりで頑張ろう、と気持ちを入れ替え、
気合いを込めて抽選のくじを引いた。


入場番号は6番だった。


トクン。胸の音が聞こえた気がした・・・。






ここ「PRIUS」は僕の知るパチスロ店の中では1、2を争う優良店。

この当時はまだ開店したばかりで人は少なかったが、後に、スロット150台程度の小さなお店に、
推定500人以上が並ぶようなお店に成長する。

駅から徒歩3分程度の場所にあるのだが、久しぶりに朝一並ぼうとしたときに、
並びの最後尾が駅の改札を出たところだったときにはさすがに驚いた。



ややうる覚えなのだが、当時のイベントは日付に5の付く日がアツく、15日が最もアツい。
それぞれ風神祭、プリウスデー、雷神祭というイベントだったと思う。

朝一にメールで機種名と台数が送られてくるのだが、対象機種は全台設定6確定である。
僕の知る限り、ガセだったことはない。


台数に関しては、風神祭・雷神祭のときは4~6台。プリウスデーのときは8台程度だったように記憶している。

このときより少し前、開店したばかりの頃は、イベントのときでも朝一の並びは10人程度だった為、
2分の1以上の確率で設定6に座れた。


だが、僕は当時そこまでパチスロにハマっていなかった為、朝一のメールこそチェックするものの、


「今日の機種はハットリくんか。寝よ。」

と、こんな感じだった。昔に戻れるなら自分の頭を思い切りはたいてやりたい。




さて、この日の朝、対象機種については当然チェック済みである。

当時、凄まじい人気を誇っていた機種、パチスロ「北斗の拳」だ。


4号機を知るスロッターにはもはや説明は不要であろう。


ひとたび引けばどこまで続くかわからないバトルボーナス。
諦めかけたところに絶妙なバランスで現れる「ケーン!」。
初めてラオウを昇天させたときは僕を含む多くの人間が感動に震えただろう。

2チェやスイカを待つ通常時も、多彩な演出とゲーム性で全く飽きさせない。

当時、「北斗の拳」しか置いていないパチスロ専門店すら現れたのは、まだ記憶に新しい。


僕のような拙い文章力ではこの機種の魅力は表現できず心苦しいのだが、
普段パチスロを打たない人でも、なんとなく聞いたことがある、というくらいの、
パチスロ史上最大のヒット機種である。




「朝から北斗の6が打てる。」

当時(今もだけど)の僕は朝からパチスロを打つことなどほとんどなかった為、
朝一から設定6確定台を打つのはこれが初めてだった。

しかも、店は安心安全、「PRIUS」である。
さらに機種は大好きな北斗の拳。


「先輩、ありがとうございます!」

約束をスッポかされはしたが、僕は誘ってくれた先輩に心の中で感謝した。





――8時50分。
ついに入場が始まる。

(注:神奈川は9時開店)


「1番のお客様ー。2番のお客様ー。3番のお客様ー。4番の・・・」


この店は一人ずつ少しの間を空けての入場である。
そして、この日の場合は8番の客が入ったあとには長めの間を取る。

後ろから抜かされるような心配はない。
さすがは優良店。この辺りは徹底している。


「6番のお客様ー」


僕が入場する順番が来る。
ひとつ深呼吸をしてから入場した。


イベント機種は全台が設定6確定の為、前日の履歴など見る必要はない。
やはり打ちやすいカドの台から埋まっていく。

6番だった僕は適当に真ん中の台を選んだ。
左隣は覚えていないが、右隣には中国人と思われるオッサンが座った。



シーンとした店内。気の早い連中は早くもメダルを借りてスタンバイを始める。

中には少しでも早く回したいのか、クレジットを満タンにして、
下皿にも数千円分のメダルを借りている客も居た。


並んでいた他の客の入場も終わり、遊戯開始である9時の合図を全員が今か今かと待っていた。

プリウスデーには、対象機種以外にも、朝一の発表こそないが多数の高設定台が入る。
小さな店内はすぐに満席になる。


「お待たせしました!それではカウントダウン! 5、4、3、2、1・・・」


ゼロの声を聞く一瞬前に、鳴り響く大音量の音楽。瞬間的に湧き上がる熱気。
ホールを包み込む温度が少し上がった気がした。


全員が我先にとレバーを叩く中、僕はゆっくりと噛みしめるようにして1ゲーム目を回した。


「今から北斗の6が打てる。」






最初のBB(バトルボーナス)は2万円程投資した頃だった。
周りはすでに1回ないしは数回のBBを引いており、僕の台の当たりは一番遅かった。

このBBが単発で終わったとき、少しだけ嫌な予感がした。




次の当たりは、先ほどの出玉が飲まれ、再び追加投資を始めて、しばらく経ったあとだった。
予想通りの単発だった。

この頃には周りの台は全員が現金による投資を止め、下皿か箱の中のメダルでプレイしていた。




そのあとも僕は投資を続けた。そして単発、2連を繰り返した。



昼を過ぎた辺りで5万くらいは負けていたと思う。

他の台は全員が箱を使っていた。
恐らく、そのときイベント台で負けていたのは僕ひとりだった。




6万。



7万。



最初は設定6でもこれくらい投資することはあるさ、と余裕を見せていた僕も、
だんだんと冷や汗が出始めていた。

まだ、パチスロに少しずつハマリ出した直後のときである。
1台にこれだけの投資をするのは初めてだった。


徐々に焦りが募る初心者。
それまで見えていたスイカの目押しすらままならなくなっていった。

3回連続でスイカの目押しを失敗した。
右隣のオッサンがそれを見かねたのか、それ以降僕の台のスイカを勝手に目押しするようになった。

だが、オッサンの目押しは僕より下手だった。3回に2回は失敗した。



8万。



9万。




パチスロを打っていて、こんなにも「早く家に帰りたい!」と思ったのは後にも先にもこのときだけである。
それでも帰る訳にはいかない。この台は北斗の6である。


一瞬、設定を疑いかけたが、それはない。普段打っている北斗とは全く別物だった。
小役の落ちは格段にいいし、BB後はほとんど高確スタートだった。


だが、圧倒的に2チェを引くタイミングが悪いのと、全く連チャンしないことが重なり、
とんでもない投資額になってしまっていた。


しかし、9万を使ったところで念願の北斗揃いが降臨する。しかもレインボーオーラ。

これを反撃のきっかけにする!



気合いを入れたBBが2連で終わったときに僕の心は折れた




他のイベント台はひとりお通夜状態の僕を除き、全員がお祭り騒ぎ。

そんな周りをよそに、当たっては単発、当たっては単発を繰り返し、途中からは隣の世話焼きのオッサンに
勝手に目押しをされてミスられる。何かの罰ゲームかと思った。




店にいる全員が僕の台を見ているんじゃないか。全員が心の中で笑っているんじゃないか。

そんな妄想すら覚え、僕はその恐怖に耐えられず、逃げるようにして食事休憩を取った。




朝一に整理券を引いてから整列し直すまでの間に、コンビニでおにぎりとパンを買ってはいたが、
店の中で打ちながら食べる気力は残っていなかった。


泣きそうになりながら、店の外でおにぎりを頬張り、僕は1本の電話を掛けた。
このとき、財布の中に残っていた諭吉は1枚のみだった。




プルルルルルル・・・


プルルルルルル・・・




「・・・あ・・・もしもし、あのさ、悪いんだけど・・・」




初めてのことだった。

家に帰ればいくらかの現金はあったのだが、僕は当時付き合っていた彼女(現嫁)に電話をした。

あの台をもう打ちたくはない。
かといって北斗の6を途中で捨てて誰かに取られるのも悔しかった。

僕は彼女にお金を持ってきてほしいと頼み、彼女が来たらそのお金であの台を彼女に打たせる予定だった。
(もちろん負けた場合には僕持ちである)


僕がギャンブルにおいて自分以外の誰かをこれ程までに頼りにしたのは、おそらく生涯でこのときだけである。
それほどまでに僕の心は、強すぎるラオウによってバキバキに折られていた。





これで、もうすぐ助かる。


太陽の声を聞いたおかげか、僕はいくらか平静を取り戻していた。


彼女が来るまでの少しの間、最後の1万で勝負するか。
せっかくの北斗の6だ。最後の1万くらいはゆっくり楽しもう。


再び戦場へと舞い戻った僕は、どこか雰囲気の違う自分の台の前で一瞬戸惑った。



(あれ、俺の台、こんなにきれいで明るかったっけ??)



だが、間違いなくこれまで自分が打っていた台である。
隣では中国人のオッサンが威勢よくケンシロウとラオウのバトルを展開させている。



不思議に思いながらも最後の1万円札を投入し、ゆっくりレバーを叩くとさっきより軽い感じがした。

打ち始めてすぐに2チェが揃って、簡単にバトルボーナスをゲットした。14連した。







――勝負事に「流れ」は存在するか。

どちらかというと、デジタル思考寄りの僕だが、「流れ」は存在すると断言したい。

何言ってんだよ、偶然だよ、偶然!と笑う方はそれでも構わない。



だが、あのとき確かに流れは変わったし、確かに僕はそれを感じ取った。



流れを否定する方に言いたいのは、せめて後から振り返ったときに、あそこから調子が良くなったよね、
と、楽しむくらいは許してほしいということだ。




長い連チャンの間に彼女が到着し、しばらく僕の台の後ろで黙って様子を見ていた。

連チャンが終わったあと、僕は彼女に、ありがとう、お金はもう大丈夫と伝え、
これで好きな台を打ってきな、と一箱分のメダルを手渡した。


一度掴んだ流れを簡単に手放すわけがなかった。


そのあとも僕の台は息を吹き返したかのようにBBを引き続け、昇天こそさせられなかったものの、
最高継続16連を記録し、今までの単発地獄が嘘のだったかのように連チャンを重ねた。

いつの間にか隣のオッサンは目押しをしてこなくなっていた。




・・・結局、閉店間際まで打ち切り、最終的に流したメダルは7000枚を超えた。

彼女もちゃっかりメダルを2箱に増やしていた。





人生とは不思議なものである。

もしあのとき僕が10万近い負けに心を折られ、台を捨てて帰ってしまっていたとしたら、
バイトを辞め、その後しばらくパチスロで食っていくなんてことはなかっただろう。

もちろん、パチスロで数百万稼ぐ未来もなかったはずだ。




僕がパチスロで食っていこうと決意するのは、この日からわずか1か月半後のことである・・・。










・・・はい。最後のほうちょっとオカルトちっくな記事になってしまいすみません。

でもね、ほんとに感じたんだって!あ、これ、こっから捲るな、ってね、ほんとに思ったのよ!
ま、ただの偶然かもしれないけどね・・・(笑)

でも彼女の声を聞いて平静を取り戻して、周りが見えるようになったってのは確か。
それで台の見え方とかも変わったんだろうね。




ふ~、長い記事書いてさすがに目が痛い。

ってか、今気付いたけど、これを予約投稿にする意味はないな。
でももう、さっきの記事予約投稿にしちゃったからなぁ。

まあいいか。これは日曜にアップされる予定にしておこう。
消えちゃったら死ぬほどショックだから、この記事はメモ帳かなんかにコピペしてバックアップしとこっと。


次回の歴史カテゴリの記事はそろそろ競馬のことを書く予定。(信頼度20%の激サム予告)
気が向いたらでいいのでまた読んで下さい!




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初めてパチンコとパチスロを打ったときの話 ―後編―

今日はFXのトレードであっという間に3連敗。
3連敗したらその日のトレードは終わりというおっさんルールにより、早くも本日の相場から退場処分。


仕方ないから昨日の記事の続きを書いていく。
あらすじ書いたり、リンク貼ったりしないけど、まあいいよね。

できれば前回の記事から読んでほしいけど、長いし無理にとは言いません。

では、早速書いていこう。







しばらくして、僕はまたウエダさんに誘われパチンコ屋に行くことになった。


今度はマリーンではなく別の店だった。
会社帰りに車で連れて行ってもらった店の名前は覚えていない。


この日はウエダさんの他に、2人の先輩も一緒で、4人でパチンコ屋に行った。


1人は僕と出身校が同じでよく可愛がってもらった、経理課なのにチンピラのような容姿をした先輩。
もう1人は僕とウエダさんと同じ課で、僕といちばん歳が近かった、美人で巨乳の先輩。


ウエダさんと巨乳と僕はパチンコを打った。

チンピラはスロットコーナーでミリオンゴッドという何だかすごい荒いと言われている台を打つらしく、
鼻息を荒げて僕たちの元から去っていった。



おそらく、この日が僕のパチンコデビュー戦だと思われる

というのも、パチンコを打ったときの記憶がほとんどなく、デビューがいつだったかハッキリしないのである。


小学生のときに親戚のおじさんに連れられてパチンコ屋に行って、一緒に千円打ったところで追い出された
という経験はあるのだが、それを除けば、たぶんこれが初めてのパチンコだったと思う。



結果は確かウエダさん2万円勝ち、巨乳はトントン、僕が2万円負けといった感じだった。
何の台を打ったかなど、全く覚えていない。


パチンコ好きの方には申し訳ないのだが、このときの僕は
ハンドルを握ってボケーっと当たりを待つだけという遊びに全く魅力を感じなかった。

(注:勝ち方を知ってからは、パチスロ程ではないけどそこそこ好き。)




一方、スロットを打っていたチンピラはというと、GODというすごい役を2回引いたらしく、
ものすごい枚数のメダルを台の上と席の後ろに積んでいた。


僕が「すごいですね!」と言うと、僕が負けたのをどちらかから聞いて知っていたのか、

「ウエダと巨乳には内緒な!」と2万円のお小遣いをくれた。



僕はチンピラに内緒でその2万円でパチスロを打った。あっさり負けた・・・。






次にパチンコ屋に足を踏み入れたのはそれから数週間が経ってからだった。
今度は会社の同期の連中と一緒に行った。

やはり僕はあまり乗り気ではなかったのだが、ギャンブルの誘いは断れない


同期の連中はパチンコを打つと言うが、僕はパチンコはつまらないからパチスロを打つことにした。


先輩達に2回連れて行ってもらったおかげで、大体のルールは理解できた。


僕はなんとなく馴染みがあったという理由で、ルパン三世の絵が書いてあった台に座った。
不二子2という名前の機種のようだった。


液晶のついている台を打つのはこれが初めてだった。

適当に回し始めると、程なくして液晶にボーナス確定の文字が出る。


今日はウエダさんはいない。店員や同期の連中に頼むのは恥ずかしいし、格好悪い。
自らの力で揃えるしかなかった。


僕は慎重に7図柄を狙った。
前に打った台よりは7図柄は見やすいように思えた。




タン。

第1リールに7が止まる。

タン。

第2リールにも7が止まりテンパイ。

最後は少し力が入った。

ドッ。


「ウヒョー。」 「待てールパーン!」 「SUPER BIG!!!」


「ダダッ、ダダッ♪ダダッ、ダダッ♪ダダッ、ダダッ、ルパンザサー♪♪」

(拙い表現で申し訳ない。あの例のイントロをイメージして頂きたい。これ表現難しいな・・・。)



僕は初めて自分の力で7図柄を揃えた。
それを祝福するかのようにあの名曲のイントロが流れ始める。


次々と下皿に払い出されるメダル。
リズム良く流れるルパン三世のテーマ。


タッタラッター♪ターターター♪タッタラッター♪ターターター♪タラララー♪ラーラーラーラー♪
タララー♪ラーラーラー♪

(↑真っ赤なー薔薇はーのやつね)





うわ。何これ・・・。


僕は生まれて初めての快感を味わっていた。




そう、このときこそが僕がパチスロにハマり出すきっかけとなった瞬間だった。







結局この日、金額は覚えていないが、1万円程度は勝ったと思う。
もちろんその後の同期との飲み会で全部消えた。


だが、勝ったお金などはどうでも良かった。
僕は初めて自分で7を揃え、自分の力で勝利をもぎ取った。



――パチスロって楽しい。






幼い頃から何事においてもそうだった。
何でも自分でやらないと気が済まない。

何かできないことがあって、そのとき親に手を出されるのを極度に嫌った。


「自分でできる!!!」


正直かわいくない子だったと思う。


だが、それこそが僕の原点。

何事も、人にやってもらっては意味がないし、おもしろくもなんともない。


自分で考え、自分で予想し、自分の信じた馬に賭ける。
その結果、勝っても負けても競馬は楽しかった。

自分で牌を持ってきて、自分で打牌を選択し、自分の力でアガリをもぎ取る。
だから麻雀は楽しいのだ。


パチスロもそうだった。

初めて自分で7を揃えたその瞬間、ボーナスと共に、
僕がこの先ずっとパチスロにハマっていくであろうことも確定した。











・・・あれから10年以上の歳月が流れた。

(一気に飛んだけど、いつものごとく別記事にて書く予定だからね!物は投げないで!)



まさか、(短い間ではあったが)パチスロで食っていく未来が待ち受けているとは・・・、

まさか、決して少なくない額の借金をパチスロで返済していくことになるとは・・・、

まさか、結婚資金をパチスロで稼ぐことになるとは・・・、


あのときの僕は思ってもいなかった・・・。




夢への道をようやく進み始めた今は、パチスロにかける時間は少なくなってしまったけど、
今後もずっと大切な趣味のひとつであり続けることは間違いないだろう。








思えば幼い頃から人の台より設定は良くなかったのかもしれない。


会社を辞めてからは、追い銭に次ぐ追い銭。幾度となく苦しい思いをしてきた。


20代後半、負けたら終わり、なけなしの最後の千円で踏ん張った。


30を過ぎ、なんとか盛り返して下皿プレイ中だろうか。


これだけ耐えて回してきたんだ。そろそろ来るだろ。


フリーズ。ブラックアウト。逆回転。


逆転を信じ、歯を食いしばって生きてきた僕に、その一瞬の静寂のときが訪れることを夢見て・・・。



おっさんの人生のリールは今日もゆっくりと回り続ける。








・・・はい。最後よくわからない締め方をしたところで、おっさんのパチ&スロデビュー戦の話は終わりです。

結局、北斗の話なんて全然書いてねーじゃねーか!(笑)

次回の歴史記事の際は今度こそ書く予定なので、楽しみにして頂いている少数の方々はもう少しお待ち下さい。
(信頼度60%)

以上、長々と読んで頂きありがとうございました。



↓北斗はいいから巨乳の詳細!って方はポチっとお願いします。


 
プロフィール

パートのおっさん

Author:パートのおっさん
 
職業:パート
性別:おっさん

初めての方でギャンブラーまたは
トレーダーの方は コチラ

 【生涯ギャンブル戦績 (概算) 】
競馬 : -200万 男の単勝一点
麻雀 : -100万 場代
カジノ : -50万 地下・韓国・ベガス
株式取引:-50万 リーマンショック!
競艇 :  -2万 初心者
パチンコ : ±0 ほんとか?
競輪 : +200円 勝ち逃げ
パチスロ:+700万 天井狙い
FX  :  +2億 (予定)

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